怒号と温かさで学んだ”当たり前”


以前にも語ったことがある話かもしれません。
けれども、なかなか忘れられないイイ経験なのです。
再び思い出されたので少し書いてみたいと思います。

今なお忘れられない怒号と温かいものがあります。


「コラ、ボケぇ!!」


「温かいものでも食べてね」


何ら変哲もないこれらの言葉は自分に大切なことを教えてくれました。





■ 怒号 ■


大学二年の時、私はビラ配りのバイトをしていました。
コンタクトのビラですので(しかも特段安いわけでもない)、
欲しがる人などはとても少なく、夏だと炎天下の中、
もらってくれる人を探し求めて手を動かします。
身体的にも精神的にも非常にハードな仕事です。

そこで印象深いことがあったのです。

ある日渋谷でのこと。
突然ヤクザ風チンピラにからまれたのです。


「オゥ、にいちゃん、誰の許可もらって配っとんのや?」


え?警察だけど?


ちゃんと警察から許可証もらって配ってるので法律的には何も問題はありません。
しかし、それでは満足いかないようで


「ア?んなモン関係あるかい。ここはウチのモンの場やで?」


イマドキこんなこと言う人間が存在するのか!(笑)


と驚きつつ、よく分からん理屈に戸惑いました。
そこで許可証をとってきて見せました。
まじまじと見た後、おもむろにその携帯電話を取り出し電話をかけ始めました。


「ア〜、イマムラさん(仮名)?なんか渋谷ンとこでなんかビラ配っとるヤツがおるンですけど。エ、会社?(ビラをぶんどり)○○○、○○○って書いてありますワ。エェ。」


え、ナニこの状況?自分なんか悪いことしたっけ?


と自分を省みるものの、自分は悪くない。
電話を終え、携帯をしまい、コチラに振り向くチンピラ。


「とりあえず配るのヤメェヤ」


…いや、これバイトなんで。


これやめたら給料もらえないじゃないか、と。
再度許可証を見せ、説明しても無駄。
一向に分かってもらえない。
確認しますが、こちらは別に悪くありません。
どう見てもよく分からん言いがかり。
面倒なことになりそうなので、先輩を呼ぶことにしました。
幸い近くにいたので呼びに行き、来てもらいました。
先輩はチンピラに向かいつつも、目で


”俺が対応しているうちに配っとけ”


的な合図。
それを見て自分たちは悪くないのだから配った方がいいと判断し、配り始めました。
チンピラと先輩がギャーギャー言ってるの(主にチンピラ)を横目にひたすら配る。
しかし、配っている自分の姿に気づいたチンピラは至近距離まで近づき、
胸ぐらを掴んで罵声を浴びせたのです。



「なに配っとんじゃ、ゴラ、ボケぇ!!」



その瞬間、この野郎、と怒りが込み上がりました。


理不尽な言いがかりに煮えくり返った腹底が自分の手を動かす。

腕をあげようとした時に一瞬考えました。



後先考えれば、こんな人にも謝って対処するのが得策。



腕を止め、
深く息を吐いて、
何とか何とか怒りを抑えて上司を呼び、
上司から警察に電話してもらい、警察にチンピラを対応してもらい、
無事解決しました。



まだまだガキだった自分がこんな理不尽な振舞いに辛抱したのです。





■ 温かいもの ■



今度は冬の季節、東急田園都市線のとある駅前で200枚のノルマを
こなそうと懸命に配っていました。
しかしその日は雨が降っていて受取りは少なく、
これはノルマきついな…、と内心とても焦っていました。
たしか12月だったのですが、何しろ外でずーっと配っている仕事。


ハンパなく寒い。


しかも雨。
もう泣きっ面に蜂っていうか、なんといいますか。
外で冬に雨って最悪なんですよ。
手袋してても、その手袋が濡れる濡れる。
ビチョビチョの靴は靴下に浸透し、寒さを増進。

極めつけは目の前のファーストフード店。


ガタガタ震えながら配る自分の前で


旨そうなハンバーガー食っとるし!!


しかも室内で(泣)


なるたけその風景を視界に入れないように、
とっととバイトが終わるのを願っていました。


それから少し時間がたった後


一人の年配の女性が近寄って来ました。



え?もしかしてもらってくれるのかな、と思って手を差し伸べました。


するとがしっとビショビショに濡れた僕の手袋をつかみ、

何かを渡して一言つぶやきました。



「何か温かいものでも食べて、頑張ってね」



そして颯爽と去って行ったのです。


呆気にとられて立ちすくみ、握られた手元を見てみると、

そこにはきらりと輝く




500円玉



思わず涙を飲みました。





いつもは単なる500円の価値をもつ金属が

ものすごく温かく、そして100万以上の価値をもつものに思えたのです。

颯爽と去ってしまわれたので、お礼を言えなかったのが本当に残念でした。


バイト後食べたハンバーガーは格別のものでした。



そう、これも何とか辛抱したからこそ、起きたことなのです。





■ “当たり前”のことを当たり前に ■



もし怒号を受け、怒りに任せて相手に手を出していたら、どうなっていたか。

自分が警察のお世話になり、バイト先や両親などいろんな人に迷惑をかけたことでしょう。

もし誰も受け取ってくれないとあきらめ、惰性でやっていたら、どうなっていたか。

あの女性は私に何かをしてくれたでしょうか。


上みたいに書くと、多くの方が



“別に大したことしてないだろうが。調子に乗るな”
“そんなことしょっちゅうだっての”



と思われると思います。

そう、どちらも特別のことをしたわけではありません。

当たり前のことです。

しかしまだまだ子供だった私は
キレても、アキラメてもおかしくはありませんでした。


この二つの事件で


子供から大人になるというのは、


そういった当たり前を当たり前と自覚しながら当たり前にやること



だと分ったのです。



ビラ配りは時給が高かったものの、非常に辛いバイトでした。

しかしそこでお金では買えないものを学びました。



忍耐努力の大切さを教えてくれたあの日の体験は、


今なお、僕の中で活きている気がするのです。