なぜか考古学学会にいる自分

ハジメテダナ、ガッカイ














(講演会の最中。独特の雰囲気。)















■なぜか学会に参加していた。

 しかもなぜか考古学。

 30日(土)日本考古学協会第75回(2009年度)総会が早稲田で開かれ、

 その公開講演会に参加することに。

 講義の関係で強制的にw

 14時前に会場である大隈講堂に入ると、

 結構参加している人が多いことに驚きました。

 しかし、若い人はほとんどいませんね。

 後ろから見れば分かるんですが、みなさん髪の毛の後退された人ばかり。

 これを見て

 「ひゃ〜、居心地悪いなぁ、帰りたくなってきた」

 なんて思いましたね、正直な話。

 初めての学会がこのような形でしかも、考古学ですから。

 専門的な言葉が飛び交い、正直分からないことばかり。

 しかし、周りのオジサマオバサマは

 ウンウンと頷いておられる。

 中にはいびきかかれている方もいましたがw

 話されている人が情熱的であったのは分かるのだけれど、

 う〜む、ついていけんなぁ、と昨日の疲れも影響していつの間にウトウト。
 
 起きたときには話は大分飛んでいて、前後のつながりが分からない。

 これでは来た意味がないなぁ、なんて思った。


 だけど、結構面白い発見がありました。


 講演会2人目の発表者である岡山大学名誉教授の稲田孝司氏の
 「旧石器時代研究の課題」という話。

 とても情熱的で、考古学を愛されている感じがヒシヒシと伝わるw

 以下大雑把な内容。


■考古資料は例の「神の手」によるねつ造事件であったように実は結構曖昧としている。

 そのためデータベース化がすすめられているそうだ。

 その考古資料には不動産(遺跡)と動産(造物)のふたつが一般的だけれど、

 それ以外に行動軌跡があるのだ、と教授は熱弁された。

 行動軌跡なしにしては考古資料はありえない、とまで言われたっけか。

 旧石器時代の人たちは生存のために物質化を図る。

 必要なものを物質へするのだ。

 人間はこれまで進化という形で肉体変化することで、環境に適応してきた。

 しかし肉体変化からその変化を道具へと依存することとなる。

 いわば人間器官の変化を道具にたよるのだ。

 石器などがその代表。

 不動産は社会関係を規制するために存在する。

 家族だの村だの何だのと。

 現代を鑑みると面白いのだが、

 現代ほど建築物に規制されている時代はないだろう。

 講演会場のイスの向きによって発言者と対峙するよう“規制”されている。

 机やイスの位置、または向き、建築物の形など、

 僕らは無意識だけれど実は結構大きく規制されているのだ。

 それで、その不動産の先駆的形態が行動軌跡と言われる。

 今までは不動産や動産を“解釈”しようと試みてきた。

 しかし、それらは行動軌跡によって“証明”が可能なのである。

 これまで縄文時代弥生時代などと小さな枠組みだけで考古学はすすめられてきたけれど

 それでは決して分からない。

 歴史の大きな流れをとらえる方法が求められる。


 結構アバウトなところはあるかもしれないが、このような内容だった。


【今回の“知”の活用】


▼興味のない分野であっても、情熱ある人には近づくべきですね。

 必ず得られるものがあります。


▼見えるモノばかりに終始して、見えにくいモノを忘れていてはいけませんね。

 パラダイムシフトは見えないモノにこそある。