美・無・空・間


■シンプルイズビューティフル




















■日本を代表するデザイナーである原研哉

 普段何気なく見ていたデザインが彼の手によるものと知ったのは、

 『爆問学問』の彼の回を見てからだった。

 友達から彼の著作『デザインのデザイン』をそういえば紹介されたこともまた思い出した。

 
 日本デザインセンター 原デザイン研究所


 自分の好きなシンプルなデザインなのだ。

 無駄な装飾は一切無く、スッキリした感じ。

 自分の心も洗われるようで。


■「シンプル(simple)」とはギリシア語のsimplus(たった一つの、単純な)に由来している。

 たくさんの飾りや多様な模様はそこにない。

 簡素といえば簡素。

 質素といえば質素。

 だけどそれがいいのだ。

 西洋のロココ調でも縄文土器でも青銅器でも複雑な模様を持つそれらは

 複雑の中に美をもっている。

 シンプルはそういった複雑の芸術の歴史を経て出てきた産物である。

 複雑なそれらは前時代的。

 単純なこれらは近代的。

 そう二分することもできる。

 時代的に分けてみただけで、どちらがいいかというのは

 人の好みの話なので決められるものではない。

 ただ現代の我々はシンプルなデザインに囲まれて生活している。

 身近なものから言えば、携帯電話をはじめとする電化製品、あるいは文房具を手にとって見よう。

 そこに“シンプル”は見えてこないか。

 広いところをいえば都市空間。

 そこにも感じるものが無いか。

 マッキントッシュパナソニック、三菱などなど何でもいいのだけれど、

 それら商品はとてもシンプルなものだ。

 そういったデザインは商業世界とは結びつきやすい。

 人と共感しやすいからだ。

 逆にアートとは独自の世界観の中から産み出されるもの。

 共感のためにつくられるものではないので、お金とはどうにも結びつきにくい。

 アートはとんでもない力で人をひきつける力を有するのと同時に、

 その世界が理解できない人にとっては全く面白いものには映らない。

 故にいろいろなジャンルのアートが生まれてくる。

 だが、デザインはシンプルだ。

 もちろん様々な形の単純さはあるけれど、それらの造形物は“シンプル”という一言で語られる。

 このシンプルはアートほどの強大な力はないにしろ、

 万人を引きつける魅力がある。


 「無」

 「空」

 「間」


 漢字で表せばこんなようなもので、

 原研哉のことばでいえば「エンプティ(空っぽ)」である。

 あらゆるシンプルなデザインをどれをとっても、

 意味の無い空間がある。

 小さな黒いものが中心にあったとしたならば、回りの広大な白い空間。

 一見するといらないもののように思えるけれど

 デザインを成り立たせているのはこれらエンプティなのだ。

 何も無いにすべてはおさまっている。

 何かあるから考えるのではない、

 何も無いからこそ人は思考するのだ。

 それは自分の考え、想いを挿入できる「間」なのである。

 どうにでもできる自由領域。

 考えを押し付けられるのではなく、

 逆に自分が押し付ける権利を有している。

 人それぞれが同じ権利をもっているわけだ。
 
 だから同じシンプルを見ていても、人の思いはそれぞれ。

 それ故に万人が共感できるデザインなのだ。


 これは何も物のことだけではない。

 コミュニケーションもデザインが可能である。

 会話をするにしても「間」とか「沈黙」などをはさむことで

 非常に大きな効果をもたらすことができる。

 ずっと喋りっぱなしだったらいいという問題ではない。

 伝えたいことがあるからこそ、あえて間を置く。

 あえて相手に考えさせる。
 
 この間には、どういう意味があるのだろうか、と。

 それにより会話が深くなる。

 ただ闇雲にしゃべるというのは複雑すぎて中々受け入れられない。

 “間”を与えてやる。

 そうすることでコミュニュケーションもデザインされるのだ。
 


■確かに何にもないし、単純だ。

 だけれどそれらは決してつまらないものではない。

 そうであるが故に美しい。

 だからこそ面白い。

 そのシンプルもう一度見つめなおそう。

 その「無」「空」「間」に世界のすべてを見てみよう。