人と出会う喜び

■ダレカトアエルッテタノシイナ。















(戸山キャンパス記念講堂と青空)





















■最近も毎日たくさんの人との出会いがある。

 それぞれ趣味も特技も専門領域も全然違う人たち。

 そして、その中には同年代もいれば、後輩もいて、もちろん先輩もいる。


 そういった中、先輩から学ぶことはもちろん多い。

 自分なんかよりもはるかに人生経験が豊富だからだ。

 専門領域などに関しても知識レベルではなく、実践レベルであるから

 そこから話してもらうエキスには何か深いものが感じられる。

 そういったものをコミュニケーションの中で頂き、とても刺激になるのである。

 だから僕は積極的にその分野で活躍される先輩たちと会おうとしている。


 しかし、会うべきなのは先輩だけではない。

 同年代とのつながりは極めて重要なものだ。

 昨日話したゼミの友達からはとてもいい刺激を受けた。

 授業が休講になったその時間、戸山キャンパスのカフェテリアで

 お互いの夢や思想や理念、哲学などを

 時間じゃ足りないくらいまで語り合った。

 彼は僕のブログを読んでくれていて(しかも細部まで)、そのことについても触れてくれた。

 「大学でたくさんの人と会ってきたけど、お前みたいな人間は初めてだ」

 そんな面白い人とは浅い内容でなく、より深部へより本質へと話を向けたい。

 こういう会話ってのは同年代じゃないと成立は難しい気がする。

 身近であるが、身近な分だけ強い刺激を与えてくれる。

 しかも身近な存在の中にすごい人はよくいるものだ。


 では、後輩と会う必要はないか。

 それは大いに違う。

 むしろ積極的に会うべきだ。

 後輩との対峙は、先輩としての自覚を生み、それが己の成長への促進へとつながる。

 彼らの言葉には、本質へと向かうきっかけがたくさん詰まっている。

 たとえば後輩というか日本語の後輩として留学生とよく話をする機会があるのだけれど

 彼らの


 「これ日本語で何て言うんですか?」

 「それ日本ではどうなんですか?」

 「なぜ日本ではこういうことをするのですか?」


 という問いには付け焼刃の知識では太刀打ちできない。
 
 深い思索が必要である。

 その必要性が生まれる瞬間、ドーパミンが分泌されるのか、

 すごくワクワクした気分になれる。

 先輩や同年代と違い、学べることが少ないように思える後輩だが、

 それは大いなる誤りだ。

 どんなビジネスパーソンでも自分より若い世代とのつながりを大事にしている。

 彼らに自分の得たものを話すことで、その得たものを深め、

 時に後輩の意外なフィードバックで事の本質をつかめるのだ。



■人と出会い、話す時間は貴重なものだ。

 そこには年齢差も出身の違いや分野の違いなどは関係ない。

 ただ出来れば自分を発奮させてくれる人と出会いたい。

 そうそれは光り輝く存在、またそれを目指し努力をしている人たち。

 いわば未来に生きるフューチャリストたちだ。

 彼らと出会うためには、下らぬ私欲は押し殺し、積極的にならないといけない。

 常にアンテナをはりめぐらし、

 そういう機会あらば絶対に逃さない。

 こういう姿勢を維持していくことが、生きていく上で大事になってくる。


 大事なのは”カネ”じゃない。

 大事なのは”人”財である。