桜はどうして美しいのか
■チルノハヤカッタナァ。
■上の写真にあるようにキャンパスの桜はもう散ってしまった。
あっという間であった。
桜の風景を見れなくなると、なんだか新学期というかんじはなくなる。
新入生も気分が違っていることだろう。
■考えると、日本人は桜が大好きである。
かくいう僕もそうで、きっとあなたもそうだろう。
「桜」とタイトルにある音楽はどれだけあるか。
チューリップではこうはならない。
これを見ていかに日本人が好きか分かるだろう。
しかし、なぜ桜がここまで好かれるのだろうか。
桜の美の本質はどこにあるのだろうか。
少し考えてみたい。
■ジャカランダという花をご存知だろうか。
ノウゼンカズラ科の一種である。
実はこのジャカランダ、桜とクリソツで有名なのだ。
色は日本の桜よりもショッキングピンクというか、紫に近いかもしれない。
原産地は南アメリカなのだが、今では世界各国で見られる。
調べていてビックリしたのだが、このジャカランダは
ハワイ桜ともメキシコ桜ともオーストラリア桜とも、他にも〜桜と異名を多く持つ。
現地に住む日本人はこのジャカランダを見て、日本の桜を恋しく思うそうだ。
ところが、
決定的に違う点がある。
それは何か。
何とこのジャカランダ、
なかなか散らない
のだ。
日本の桜はあっという間に散ってしまうのに対し、
ジャカランダは結構長い。
だからよく聞く話では、ジャカランダを見て最初懐かしく思ったものの
次の日も、その次の日、はたまた次の月もずーっと咲いているジャカランダに飽きてしまうらしい。
ジャカランダには「儚さ」がないのである。
■4月当初でもう散りゆく桜。
あっという間、短き命だからこそ美しい。
ずーっと咲いていたとしたら
あんな慌てて写メも撮らないだろう、花見もしないだろう。
「今しかない」
その厳然とした事実から突き動かされる美の感情。
それが日本人の美学である。
無常観の土台にある「もののあはれ」。
その儚きもの、無常なものは何も桜だけのことではあるまい。
人も世も同じなのだ。
無常な私に無常なこの世。
さてさて、美しい散り様にするためにも、今をどう生きましょうや。