日本語書籍コンテンツのガラパゴス化

 最近提出したレポートをあげておこうと思います。


 授業でもあったように、世界の出版業界は紙媒体から電子媒体への移行を始めようとしている。もちろん紙媒体がなくなるという短絡的な話ではないが、今の出版業界に大きな変革が求められている。この電子化に伴い日本の出版業界にとって問題となってくることを種々教えていただいたわけだが、ここで私が挙げたいのはコンテンツのガラパゴス化である。

 ガラパゴス化とは最近の日本で見られる、技術やサービスで独自の進化により、世界の標準からかけ離れてしまう現象のことである。

 これまでの日本の出版社はこの日本市場しか目を向けていなかった。1億人以上いる日本の国内市場はとても大きく、そこで十分間に合ったからである。しかし、電子化へ移行するとなれば、今までどおりにはことはすすまない。電子書籍によって低価格競争、そして強制的に世界市場へと引き出される。現在のApple電子書籍にしろ、Kindleにしろそれらは共に世界を舞台に展開している。安値で消費者に提供し、非常に多くの部数を売り、ぐんぐんと収益をのばしているのは、そういった世界展開に成功しているからである。

 日本の従来通りのやりかたでは非常に苦しい闘いが強いられる。安い価格では今までの数倍の部数を販売しなければ当然儲からないし、価格を高くすれば当然読者は離れていく。これからは今まで目を向けてこなかった国際市場に適応しなければ、日本の出版社たちが生き残るのは厳しい。

 今の日本の紙の本は、日本人向けに日本語で書かれているのがほぼすべてだ。しかし、日本語で書かれた本は当然読み手が日本人に限られてしまう。これではどうあがいても世界の人には読まれない。1億という人口はもちろん多いが、世界の65億と比較すればその数は小さい。その世界市場に進出するために当然翻訳が必要となってくる。この翻訳にどれだけ力を入れられるかが重要なカギとなってくるのではないかと私は思う。

 以前ネット上で大変話題になった水村美苗氏の『日本語が亡びるとき』において、かつてのラテン語のような「普遍語」にあたる言語が英語となり、他の「国語」に大きく変質を迫っているという。決して日本語が亡くなるという話ではない。しかし世界の中心言語は英語に成り代わろうとしているのだ。この水村氏と同じような意見をもつ人は多く、脳科学者で有名な茂木健一郎氏も日本列島で日本人に日本語で勝負は「ローカルリーグ」内の闘いであり、これからは世界の「グローバルリーグ」で戦うことになると言及している。

 実情としても、たとえばヨーロッパを始めとする海外で大変な人気があるマンガやアニメはもうすでに世界に出ているのだ。しかし出版社はそれにあまり上手く対応できているとは言えない。重い腰を上げて出版社もそれなりに翻訳をし始めてはいるが、それはとにかく遅い。その証拠に正規のルートでは待ちきれないと言わんばかりに、アップローダーサイトのBitTorrentoに少年ジャンプの日本語版がでた時点で、既にどこかしらの海外の人に英語版を翻訳し、それがリアルタイムで毎週流されているのだ。ここに日本の出版社はもちろんコミットしていない。彼らに収益はなく、むしろ勝手にアップしている人たちに収益を奪われていると著作権侵害だとしてせいぜい訴えるだけである。翻訳に伴なう発売日の遅れが仇になっているのをあまり問題にしていないらしい。

 AmazonKindleなどは英語によって書かれた書物を多く扱っている。それによってダイレクトで世界市場をものにしている。これは日本の出版業界では未だかつてしていないことだ。紙媒体の場合、配送の技術は革新されたといえど、電子書籍に比べればコストや時間の面など不都合な点も多い。これを海外に応用させるとなると発送や翻訳出費に経費は倍増してしまう。しかも翻訳ミスが出ればてんやわんやの事態となり、果ては回収騒ぎにすらなりかねない。しかし電子にはそういった経費はあまり問題とならなくなる。当然発送経費や時間のロスなどはありえない。翻訳においては当然お金はかかるが、加筆修正がしやすい。これは非常に大きなメリットで、これにより翻訳ミスを恐れずスピーディーに作業が進んでいく。仮に翻訳ミスがあったとしても、その報告をうけてその場で変えてしまえばいいだけの話である。電子化と国際展開の関係は非常にいい相互作用が働く。

 今の出版業界がこれからの電子化および国際展開に向けて、やるべきことというのは翻訳まわりのシステム化である。これが上手くまわれば起死回生のビッグチャンスがある。もうすでに作家などは個人単位で動いているが、まだそのシステムの構築はなされていない。出版業界ならではの大規模のつながりを活かせば、相当レベルの高い翻訳した日本の電子本を海外に届けることが可能になりそうだ。集団の日本語から英語へと訳せるプロの翻訳家集団を雇い、作家が書いている段階から翻訳作業を始める。そして海外の人材とも協力関係をとり、現地の人にも受け入れられる英訳をつくるために切磋琢磨する。もちろん英訳以外の翻訳も重要だ。こういった流れがうまく組織化できれば、グローバル化の流れの中、日本の出版は守られていくのではなかろうか。 

 日本の作品が海外向きじゃないとか、そういうことが問題ではないのだ。日本の作品が翻訳化されず、あるいは上手く翻訳されないために海外の人に”本当の日本の作品”が届いていないだけなのだ。彼らは痺れを切らして、クールな日本の本を待っているのではなかろうか。


…うーむ、駄文だw好き勝手に言ってるかんじだ。もっと時間かけようよ、自分。

参考資料
日本語が亡びるとき』(水村美苗著、筑摩書房、2008/11/05出版)
茂木健一郎 クオリア日記』(http://kenmogi.cocolog-nifty.com/