メディアと大衆の喰い物、それがスター


■ナンダカナ、メディアッテヤツハ






















■メディア倫理の授業でマイケル・ジャクソンについて取り扱った。

 以下の記事である。


 M・ジャクソン 情報社会とスター契約


 思うにエンターテイナーの仕事というのは、

 その原義のように

 「人を楽しませる」ことに尽きると思う。

 だからこそ、

 彼らは歌い踊り、人々を笑わせたりする。

 しかしここでいう

 「楽しませる」

 とはそれだけではないようだ。

 アンブローズ・ビアス著の『悪魔の辞典』という本がある。

 この本によると“幸福”は次のように定義づけられていた。

 「他人の不幸を見てよろこぶ快感」

 である、と。

 そう、エンターテイナーは

 自身の不幸をも人を楽しませるネタにしなくてはならない。

 もちろん彼らはそれを望んでなんかはいない。

 誰が突き動かしているのか。

 それがメディアである。

 ニュースというのは、単なる事件ということではない。

 メディアによって発信された何らかの事件の情報であって、

 そこには必ずメディアが存在している。

 そのメディアにとってマイケルほど格好のネタはない。

 歌や踊りもズバ抜けている超一流の彼は、

 同時にプライベートも群を抜いた何かがあるはず、

 そうメディアは考える。

 だから彼らはステージのマイケルにも強くスポットライトを浴びせ、

 そして私生活にもライトを執拗なまでにあてるのである。

 しかしそのメディアもわれわれ視聴者が見たいものを作り出しているというのもまた事実である。

 
 「スター」というのは我々が考えているような輝かしいものというよりは


 メディアと恒星の発光によって照らし出された小さな惑星にすぎないのである。


 メディアによってつくられた「マイケル」ではなく、

 一人の人間としてのマイケルの死が本当に悔やまれる。